幸せの定規

義母の引越しが決まった。
荷造りを始めたらしいが、一人でずっとダンボールと向き合っていて気持ちがクシャクシャとしてきてしまったらしく、昨夕うちに気分転換に来た。
子供たちは大喜びだ。
私も救援物資として色々(おやつやらお酒やら)持ってきてくれてラッキーだ。
そして義母と話していたのだけど、荷物がどうやらかなりあるっぽい。
私としては荷物を減らしてくれたほうがありがたい。何しろ私は長男の嫁だし。義母には娘はいないから何かあったら・・お世話の中心は私になるだろう。と言う思惑の元、断捨離トークを持ち出してみた。
が、義母は断捨離を知らず、もう鼻っ柱が折れてしまった状態。
その上、私自身もあまり断捨離を詳しくは知らないので、話は上滑りしてしまい、結局私もあまりものを捨てれないものだからさらに説得力はなく、もう敗北宣言よろしく、「やっぱり物は捨てれないですよねぇ。」で終わってしまった。
ダメな嫁・・・いや、無謀な私。

先日、小学校の立ち当番であった。
同じ学年のお母様方といっしょになるのだが、世間話で花が咲く。
私はもっぱら聞き手。
下手なことは言わない様にするためだ。どこで何を曲解してとられるかわからないし。と言う用心を重ねた結果、聞き手になっていれば印象も悪くならない上に飛び出た印象もないだろうという超消極的な発想だ。
相槌を打ち、たまに話の上に「こうでしたよね。」発言をする。
「これはどうなんですか?」という質問発言もとっても良いような気がする。
たくさんの情報を頂いてとてもありがたい場だ。
そこで色々なお母さん方をみて思ったの。
幸せっていうのは個人の問題で他人からみて幸せに見える見えないの問題ではないのね。